Tomoartの徒然チャックま時々その他

イラストレーターTomoartの雑多なブログです。チャックま多めです。

スター・ウォーズの時代

先日5月4日が「スター・ウォーズの日」ということで、久しぶりに真面目にメカを描きまして(大変でした…w)、あぁ、「スター・ウォーズ」の話も書いてみようかなあ、などと思ってしまいました笑。

 

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「スター・ウォーズ」自体には、SF映画ファンとしては言うほど思い入れがない(爆)のですがwそれでも普通に好きだし何度も見ています。脇道の作品は別として、9部作は全て劇場で観ましたし。

その上で、語るほどの思い入れがあるのは旧三部作まで、というのが現在の心境ですね。それぞれの作品についてはレビューブログにて書いています(歯抜けだけど)ので、ご興味がある方はお読みいただけると嬉しいです。

なのでここでは、レビュー以外の思い出などのお話しを。

 

改めて、オリジナル(第一作)の「スター・ウォーズ」は1977年5月に全米公開。日本には先にその熱狂的な米国観客の様子が紹介されたものの、上映は翌年1978年まで待たねばなりませんでした。日米同時公開が多い現在と違い、当時は一年遅れなんて割と当たり前でしたからね。特に「スター・ウォーズ」は、ルーカス本人が『観客に文句を言われたら嫌だから』という理由で公開日にハワイへ逃げていたっていう逸話があるくらいノーマークの作品だったんですから。

 

当時の私は小学校6年生。日本公開の数ヶ月前くらいからテレビで特番が組まれるくらいの注目度で、それを見ては公開を今か今かと待ち望んでいました。ちなみにガンダムの記事で既出の「スターログ日本語版」第一号の表紙はダースベイダーのどアップ!「スター・ウォーズ」人気を受けての刊行だったわけです。

 

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スターログ日本語版創刊号(拾い画像です…)今見てもデザインイケてる!

そんな私でしたが、小6ゆえに親に連れて行ってもらわなければ映画館なんて入れません(小遣いも足りないし)。見に行ったのは多分、公開後そこそこ時間が経った日曜日で、父親に連れられての鑑賞でした。

 

私の父は電気工事(ダム工事の一部を孫請けするような小さな会社)に長年勤めていて、一年の3/4くらいを出張で家を空けているような人でした。無口で、ウイスキーをロックで飲むような人で、引っ込み思案だった私にとってはコミュニケーション不能な感じでした。

 

それでも時々父に連れられて出掛けていました。いつも家にいない罪滅ぼしだったのか、母に言われたのか、はたまた父なりの愛情表現だったのかわかりません。でも行くのは大概パチンコ屋とかで笑、欲のない私のほうが出玉が良くて景品におもちゃを貰うようなお出掛けでした。

 

横道にそれましたが笑、そんな父と横浜の相鉄ムービルまで行って「スター・ウォーズ」を観たわけです。鑑賞の前のお昼ごはんに、ダイヤモンド地下街の今は無きサントリーコーナーに入り、父はウイスキーのみ、私はミートソーススパゲティを食べたのがなぜかすごく記憶に残っています。

 

本当は劇場でパンフレットが欲しかったのですが、前述の通り父におねだりも出来ず笑、鑑賞後はそのまま帰途に着きました。家でパンフレットの件を母に言ったら父にも伝わってしまい「その場で言えばいいのに」と言われて縮こまってしまったのも思い出ですね(しょぼい)。

 

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東宝チャンピオンまつりのチラシ(拾い画像)この回は観に行った記憶がありますね。

思えば「スター・ウォーズ」の前に映画館で観ていた映画と言えば、半年に一度(どちらかしか見せてもらえずに選択にいつも悩んだ)「東宝チャンピオンまつり」「東映まんがまつり」だけ(多分)。それもいつも横須賀の映画館で、相鉄ムービルでの映画鑑賞は、当時の私には特別感満載でした。

 

翌年中学に入り、徐々に親離れして行くと同時に映画を多く見るようになって行くわけですが、そのきっかけだったのかなと思います。数少ない父との思い出の映画でもあり、内容とは別の意味で思い入れがある作品、それが私にとっての「スター・ウォーズ」なんですね。

 

 

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