Tomoartの徒然チャックま時々その他

イラストレーターTomoartの雑多なブログです。チャックま多めです。

ラーメンについて

昨日の記事にて、一日一枚絵が食べ物シリーズに突入したっていう話を書きました。だから、というわけでもないのですが笑、私の好物の話をちょっとだけしたいと思います。まあタイトル通りラーメンの話です笑。

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いつからラーメンが好きになったのか…もはや覚えていません笑。

 

私の過去を少し掘り返してみると、実は私は小学校の頃に腎臓病の診断がついて、腎臓に負担がかかると思われるもの(味の濃いものやジャンクなお菓子、チョコレートも)の食事制限を受けていました。(小4までは体育の授業も全て見学でした。)

 

だからなのか、それとも家が結構貧乏だったからなのか、中学生くらいまでほとんど外食をした記憶がありません。家で食べるご飯と、小学校では給食が口に入れるもののほぼ全てでした(中学以降は手作り弁当)。買い食いの記憶もあまりありません。

結局腎臓病という程深刻ではなく、血尿なのも体質的なものという事になり、中学卒業前くらいに食事制限は撤回されて何を食べてもいいということになりました。家ではインスタントラーメンを母がつくってくれて、よく食べるようになりました。スパゲティミートソースにハマってやたら食べるようになるのもこの頃です。(何にしても麺好きなのは最初からだったのだと思います笑。)

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その辺りから友だちと遊びに行った先で一緒にメシを食うようになりました。とはいえそこは中学生、1,000円を超えるか超えないかみたいな金額しか持っていません。そこで食べたのが「立ち食いそば」笑。京浜急行の横浜駅改札内にあった立ち食いそばで友だちと二人でかけそば(当時180円)を初めて食べた時の衝撃は今でも忘れません(あれ、そばの話になってる…笑)。

駅そばと言えば、出汁の旨さより醤油のガツンと来る味の濃さ。サッと食べても満足感を感じられる仕上がりになっています。薄い味付けに慣れていた私は、その濃さをメチャクチャ美味く感じたわけです。

 

それから大学辺りまで、そこそこ外食をするようになっていったわけですが、その頃はラーメン屋とは縁遠かったですね。だいたい平成になる直前、まだ昭和の頃です。ラーメン専業の店が今みたいにそこら中にあるような時代とはわけが違います。ラーメンの外食と言えば町中華で食べるものでした。

 

その認識が変わっていくのが就職して横浜に通い始めてからです。横浜駅周りには私のお気に入りだった札幌や(既に閉店)、そしてサンマーメン発祥の店として有名な玉泉亭(ダイヤモンド地下街店・既に閉店)があって、ここで食べるラーメンが美味しくてハマってしまいました!(やっと来た笑)

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その後、ラーメン好きの一年後輩が入ってきたりして、いろいろなところに食べ歩きに行くようになりました。環七にあった土佐っ子(既に閉店)、なんでんかんでん(既に閉店)、次郎本店も行きました(緊張したー)。ラー博で3杯食べたり、一晩ではしごして二杯食べたり…若い時は良かったなぁ爆。

 

こうやって考えると、確かに母につくってもらった(後には自分でもつくった)インスタントラーメン時代から好きではあったものの、本格的に専門店のラーメンが(中毒のように)好きになったのは社会人からみたいです。

 

確かに専門店のラーメンの美味しさは、食べてみないとわからないですよね笑。一時は家系ラーメンを狂ったように食べていましたが、今じゃ油にやられてしまうので汗、割と淡麗系、もしくは一周して町中華のラーメンが好きですね。

これからも健康に(ある程度)気をつけて、いつまでもラーメンを楽しんでいきたいと思います笑。