Tomoartの徒然チャックま時々その他

イラストレーターTomoartの雑多なブログです。チャックま多めです。

子供番組卒業未遂事件。

私はもともとアニメ特撮ファンでした。まぁ、今でも物によってはファンです(「鬼滅の刃」は見てない程度の笑)。

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昔はアニメも特撮も「おかあさんといっしょ」も「ロンパールーム」もひとくくりに『子供番組』と呼ばれていました。今じゃ考えられないけど、そう言う時代だったんですね。

 

私は丙午生まれ。年齢はあんまり言いたくないけど'66生まれです。えー「ウルトラマン」と同い年です笑。(ウルトラマンの第一回放送が、私が生まれた3日後でしたw)

私はテレビの子供番組(アニメや特撮)には本当に困らない世代でした。例えば幼稚園の頃に最初のアニメ版「ムーミン」や最初の「仮面ライダー」「人造人間キカイダー」が始まりました。小学校に上がった頃には「科学忍者隊ガッチャマン」「マジンガーZ」「がんばれ!ロボコン」「ゲッターロボ」が、更には「秘密戦隊ゴレンジャー」や「超電磁ロボ コンバトラーV」。これらは全て、今でも続編含め何らかの新作が作られている魅力的で人気があったものばかり。実際私が毎年見ていても飽きずにずっと見ていられるラインナップでした。

 

とは言えほとんどの子には子供番組卒業の時期が訪れます。私にも自分の中で「オレもそろそろ子供番組は卒業かなぁ」という時期がありました。

マジンガーシリーズが「UFOロボ グレンダイザー」で一旦終わり、その後番組の「惑星ロボ ダンガードA」をつまらなく感じたこと。その感覚はコンバトラーVの後の「ボルテスV」や、ゴレンジャーの後の「ジャッカー電撃隊」でも同じでした。ウルトラやライダーシリーズは休止していました。私が生まれてから初めての『子供番組停滞時期』だったのかもしれません。

 

そんな気持ちもあって、小5の頃には既に子供番組から半分足を洗いかけていました。(あくまで半分、ですけど。)
テレビは「野球中継」や「ザ・ベストテン」、作るプラモデルはミリタリーものやウォーターラインシリーズ、放課後は友だちと暗くなるまで野球(遊びの)をやっていました。

 

そこに颯爽と登場したのが、あの「宇宙戦艦ヤマト」でした。ヤマト1作目の本放送自体は数年前に終わっていました(当時私も見ていました)が、再編集版の映画が公開されたことから爆発的なブームに繋がっていった時期でした。
ブーム以前には「子供番組見てるなんて、もう友だちに言えない」という雰囲気だったのに、ことヤマトに関しては教室の中でも話題になっていました。『おぉ、普通に話していいんだ!』と思ったことを憶えているくらいです笑。

 

そうしてまた私の目は『アニメと特撮』へと戻っていきました。

 

東映版「スパイダーマン」や、ジャッカー後の「バトルフィーバーJ」では巨大ロボット戦に感嘆し、ヤマトからの流れで「宇宙海賊キャプテンハーロック」や「銀河鉄道999」で宇宙に思いを馳せ、「無敵鋼人ダイターン3」のギャグとシリアスの間で揺れるドラマにハマりました。

 

そして、生まれて初めて短髪にした私が学生服に袖を通した中学1年生、その入学式の翌々日(くらい)の土曜日17:30に始まってしまったんです。

 

「機動戦士ガンダム」が…

 

こうして私の『子供番組卒業』はあえなく頓挫し、そのお陰で今の私があるのでした。

 

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